2012年3月30日金曜日

ごん太の記録 
 
○ ごん太の記録原発20キロ圏の楢葉町から血だらけで救出された「番犬、ごん太」。献身的な動物病院の手当で奇跡的な回復を遂げました。ごん太を預かる動物病院を支援しています。 まずこれを読んでください。

<ごん太救出の経緯> ※以下は<飯舘村を勝手に応援する会>23.5.21 の署名者のお一人である柘植裕子さんからのものです。柘植さんのご主人は獣医さんで福島市内で動物病院を開業しておられ、今回の震災でも被災した動物の世話をしておられます。

 ●ごん太
柘植裕子(CHOSUN BAND RESEARCH 代表)
 震災以来、何頭になるだろうか?楢葉からレスキューが電話をかけてきた。「犬おねがいできますか?」・・連休明けで手術と外来は、すでにいっぱいだ。「血がぽたぽた落ちるほど出ているんですが」う~ん、たいへんだなと思いつつ引き受けた。昼には犬2匹と猫4匹を積んだ車が到着したが、うちで引き受ける犬は、見てみると酷い。首の周りは、血膿が毛にこびり付き、ツララのようになった先端からも滴り落ちている。臭いも蛆の湧いている独特のものだ。抗生物質を打った程度ではおさまりそうにもない。麻酔をかける外科的処置が必要のようだが、この臭いと、黒豆大のマダニが全身に数えきれない程くっついてるようでは、入院用の犬舎には、入れることができない。
 とりあえず、診察台のわきに、簡易のケージに入れたまま毛布をかけて順番を待ってもらうことにした。しかし、彼の(オスだったので)順番は、夜の7時になってしまった。汚いから最後になったのではない。臭いのだから、早く手当して臭いを取りたかったが、彼は、衰弱しているにもかかわらず唸るし咬もうとするので、麻酔をかけるのに人手が必要なためだ。さて、始めたものの、膿は固く固まり、バリカンが入らない。丁寧に鋏を入れて毛を始末していくと傷口が出てきた。案の定、蛆がわき、溜まった膿がどろっと流れ出てくる。大きな穴が4か所。やっぱり咬まれ傷だ。レスキューの話 では、彼を保護した家の周辺には、愚連隊のように徒党を組んだ犬が4,5匹うろつき、彼は、牛のいる牛舎の藁に隠れていたのを見つけだされたということだ。尻尾も皮膚がぼこぼこになっているので毛刈りをしてみると散々咬まれていた。まるで集団リンチを受けたかのようだ。さて、困った。
 彼の唸りは、怯えからくるものなのか、性質が荒いのか、場合によっては、せっかく傷の処置をしても治るまでの傷洗浄が出来ないかもしれない。ましてや里親のなり手もいなければ、安楽死をしなければならなくなる。皆で悩む・・・しかし、歯を見ると、そう歳をとっているようでもないし、と悩んだあげく、まあなんとかなるか、と最後までしっかりと手術を終えた。朝、彼を診に行くと余程疲れ切っていたのか、まだぐったりとしていた。簀子の下の受け皿を見ると、いかに彼が過酷な環境にいたのかを知ることになった。便が大量にあったのだが、そのほとんどが種もみだった。もみ殻をかぶったままなので当然未消化のまま排泄されていたが、どんなに空腹だったか、どんなにお腹が痛かっただろうかと思うと不憫で涙がでてきた。水を入れてやると、オズオズとしながらもおいしそうに飲んだ。餌は、消化器障害用の処方食を開けてやると夢中になって食べた。なんとなく、彼との距離が少し近くなったような感じがして、「これなら、治療をさせるようになるかも知れない」と安心できた。
 午後は、外に出してやろうと、つけっぱなしにしていた胴輪のリードを引くが、脚をふんばって出ようとしない。まだ警戒心が強いようなので、美味しいもので歓心を買おうと、一時間おきにチーズを一かけ、煮干しを一匹と、だんだんに私を「美味しいものをくれるおばさん」と印象付けるようにした。努力のかいあって、夜には、やっと外に連れ出すことが出来たが、今度は、またふんばって病院に入らない。無理をして咬まれるのも嫌だし、だいたい、震災の翌日に猫に咬まれた傷がやっと治ったところなのに、まったく、お節介なばかりに、どうして面倒なこと引き受けたのだろうと後悔する。夜になりレスキューより電話がある。犬を保護した家のご主人から連絡があったとのことだ。こちらに連れてきたその日に、楢葉に様子を見に行った近所の人が、レスキューの張り紙を見て飼い犬が保護されたことを知ったようだ。飼い主の携帯番号を聞いて、今後の相談に電話をかけた。
 名前を聞くと「ごん太」だそうだ。年齢は6~7歳。生後一週間でもらってきたごん太を哺乳瓶で育てたそうだ。ごん太の怪我の状態を報告すると、突然の号泣。4月21日に楢葉への立ち入りを禁止されるまでは、4~5日に一度は自宅に戻り、10数頭いる牛や鶏、ごん太の世話をしていたそうだ。いつも後ろ髪を引かれながら避難所に戻るのだが、おいて行かれるごん太は、車を追い、その後しょんぼりとうなだれる姿をみて可哀想でならなかったこと。最後の21日は、「もう来ることが出来ないから、かんべんしてくれな・・」と言い、車に乗り込んでも一切ごん太は振り返らなかったと・・夫婦で泣きながら家を後にしてきたことを話してくれた。怪我の様子を聞いた飼い主は、「そんなにひどい怪我をしているなら、いっそ安楽死してくれたほうが・」と言った。しかし、少し努力すれば治らない怪我ではないことを告げると、現在の避難の状況をはなしてくれた。楢葉の自宅なら犬など問題なくいくらでも飼うことができるが、どの程度で楢葉に帰ることが出来るのか、はたして帰郷そのものが叶うのかどうかもわからず、楢葉には、政府からも具体的な話が殆どされていないこと等を考えると、ごん太を引き取ることは、到底出来ないことだと理解できた。飼い主は、声の様子や口調から私とそう変わらない年齢だと思うが、臆面もなく涙声だ。私まで悲しくなり涙声になっていた。
 これ以上引きずると、話が前に進まなくなるので、元気よく「ごん太くんの怪我は責任をもって治します。せっかく一度は助けられた命なのだから寿命を全うさせてやりましょう。可愛がってくれる里親を必ず探しますので、ご自分たちの生活を立て直すことに専念してください。いつでも面会は、できるようにしておきますので」と電話をきった。で、その後のごん太は、というと、きょうで5日めになる。隔離入院室を一匹で陣取っているごん太は、野犬にいじめられたためか、それとも哺乳瓶で育った後遺症か、外に散歩に連れ出しても周囲を見る余裕も外の新緑のにおいもそっちのけで、出すものを出すと、一目散に病院の玄関に戻るや、あっというまに自分の入っている犬舎に滑り込む。呆れるほどの速さで。朝晩の食事以外は、ずーっと眠りこけている。安心して眠っている姿を見ていると、この2か月が余程不安だったのかと不憫に思う。しかし、犬や家畜のこととはいえ、地震、津波の被害だけでも大変なストレスだったが、その上の原発事故は、新たな別れや諦めを無理強いさせている。起きてしまったことなのだから諦めろというのか。当院だけでもこのような話は、ごん太だけではない。明日は、川内村からペットが保護されてくる。やっとだ、2か月も放置されていた。獣医が当番で健康診断にあたる。全部がもとの飼い主のもとに戻れるとはかぎらないし、そもそも、健康であるはずがない・・と思う。(追記)ごん太の家の牛は、黒毛和牛で柵の中に放牧にしてきていますが、周辺に野犬化した犬がうろついていました。ごん太を連れ出したのが6日ですから牛もどうなっているか。
 農家にとっては、大変な財産でもあり、簡単に安楽死と言われても困ります。大動物の安楽死は、簡単に総理大臣が言っていましたが、大変です。筋弛緩剤は、正確に静脈注射にしてやらないと意識がありながら窒息状態にするという点ではかえって虐殺になり、技術も必要で大変です。特に、豚などは、とても力があり凶暴です、保定出来る檻と人員も必要ですし、被災でちりじりになっている酪連や家畜保健所の獣医を集めなければならないし、飯館の無計画避難と同じく無計画安楽死プロジェクトということになりかねません。生きているものに生かされている私たちは、動物に対して感謝と畏敬の思いをもたないと、いつかバチが当たる、すでに口蹄疫などは、そうだとおもっています。命をいただくことに無頓着な政府に呆れます。福山官房副長官は、泣きながら「必ず助ける」と言いました。政治家の軽いウソのつきっぷりに怒っております。豚の畜舎での安楽死など慣れれば見られますが、初めて見る人は、寄ってたかって殺していると感じるかもしれません。獣医にそのつもりがなくても、やり方は、そういうことです・・人が多くの生き物によって生かされていることをもっと実感してほしい。特に政治家のみなさんには。大動物も小動物も、完璧とはいかずとも、役に立っている事をしているのは、ほとんどが民間ボランティアと寄付、自腹でやっているのです。すでに、3か月にもなろうというのに、錦の御旗をかかげるだけで仕事らしい仕事を何もしていない(言い過ぎではない!)政府には、怒りを通り越して、「もういい!あんたらがやらなくても自力でやるっ!」と考えています。
 ほんとうに、愛情が感じられないのです。郡山の被災者が、ボソッと「菅直人というのは、殺風景な男だな・・」と言っていたそうです。 ※上記の柘植さんの文章を私のHPに掲げましたところ、何か出来ないかとの問い合わせを多数いただき、柘植さんに連絡したところ餌や医薬品の支援を受けていただけるとのことでした。そこで支援のお手伝いをすることにしました。

 ≪その後のごん太(平成23年5月22日)
 その後の「ごん太」と動物病院の現状(柘植裕子さんのメールから)
① 田舎では、犬とはいえ愛玩の対象だけではありません。番犬としての役目もちゃんと果たしてきたのです。ごん太は、飼い主から先週電話があり、知り合いが犬を置ける避難所なので面倒を見てもらえそうだ、とのことでした。傷は、まだ完治まで2度の手術をしなければならず飼い主の元にもどるまでは、一月以上はかかります。しかし、飼い主の生活が安定すればなんとかなりそうです。ただし、楢葉ですから、いつ自分の家にもどれるのか?原発が安全宣言をだしてくれるまで終わりのない日々が続きます。ご支援をしていただけるというご提案を素直にお受けしたいと思います。
 立ち寄ってくる動物レスキューや、飼い主がもとの生活に戻れるまで犬を飼育してくれるホストファミリーの存在もあり、餌の寄付は、とてもありがたいと思っております。ご負担をおかけするほどの寄付は遠慮したいと思いますが、ごん太や飼い主さんの惨状に涙を流していただいた方からのお気持ちは、心より感謝してお受けしたいとおもいます。本当に、少しでも結構です。できれば、猫の餌もお願いしたいのです。柘植さんのメールから②<安楽死なんてたんたんと言うな>今回の震災と原発災害は、避難地区などの獣医さんの移転も阻んでいます。面倒を見ている動物の数も多くて簡単に引っ越し先が見つかりません。立ち入り禁止区域で開業していた大動物の獣医(主人の同級生)は、自分の家畜すら捨てざるをえず、那須で個人牧場の雇われ獣医として仕事を始めました。自分の黒毛和牛を放置し、余所の牛を診る気持ちは如何ばかりか・・と。 3号機の真裏なので、MOX燃料が飛散したと、近所中が大変なパニックになったそうです。原爆が落ちたのか?と思われるほどの爆音と爆煙は大変な恐怖で、車の鍵穴に鍵が差し込めないほど動揺したそうです。
 津波にのまれずに少しは家の破損があるようですが、家、診療所、医療機械、家畜もそのままの状態で財産を取りに戻れません。牛は、どうなっているか?こんな人々や家畜を考えると、「陰湿な東電叩きをやっている」と言われても、はい、やめますとは言えません。東電だけが悪いのではないことはわかっていますが、せめて、終息をみるまでは、原発で多くのものを諦めなければならない人と、東電の社員もせめて気持ちを共有してほしい、したふりでもいいのです。もちろん政府もです。総理や枝野さんが、たんたんと家畜は安楽死を実施、と会見で言った時、口蹄疫の時も同じだったと感じました。柘植さんのメールから③<原発事故は犬や猫の運命を変えた。動物病院はみんな救出された犬や猫を預かっているようです>以前、飯館の肥育農家の番犬「たこ坊」(茶色のビーグルの頭がたこ焼きのようだったので) が牛舎で睾丸を蝮に咬まれ、信楽焼きのたぬきの金〇のようになったことがありました。
 熱は出るし、金〇は歩行の障害になるし、と大変でした。10日ほど入院して職務復帰をしましたが、今回の無計画避難指示で、すっかり白髪の爺さん犬になったのに宇都宮の親戚へ養子にだされました。青空の下で放し飼いにされ、日向ぼっこが日課の隠居だったのに、いきなり都会でのつながれた生活を思うと可哀想でなりません。当院で引き取ってやれたら良かったのにと思いますが、うちの病院も犬3匹、猫5匹が入院犬とは別に「居候」になりそうなために無理です。

 ※柘植さんからの情報は以上ですが、今回の大震災、それに原発事故にあたっての被災者や動物に対する日本の対応は、文明国で起こっていることとは到底思えません。発生から70日以上経っても、10万人を超える被災者は体育館の床の上ですし、犬や猫、そして家畜は置き去りです。体育館では多くのお年寄が亡くなっています。置き去りにされた動物たちは、政府の最高指導部によって「安楽死」と発表されました。なんということでしょうか。ふだん、学校でもマスコミでも何かというと「命を大切に」「命は地球よりも重い」などと、安っぽい台詞を口にするくせに、目の前で悲劇が起こっているのに「殺すな!」とも言えないのです。恥ずかしくないのでしょうか。チェルノブイリの原発事故ですら家畜といっしょに逃げたと言われています。いったい、日本の政府はお年寄りや動物を救うためにどんな努力をしたというのでしょうか。それでも政府に代わって、私たちの社会の名誉を守るために多くの方が奮闘されています。奮闘されている方に声援だけでも送りましょう。
(山際澄夫)

飼い主と再会≫平成23年6月2日
 その後のごん太と動物病院からのお礼
6月2日 柘植裕子
皆様のあたたかいご支援を心より感謝しております。お礼状を書きたいのですが、住所をあえてお書きにならない方も多く、ここで深く御礼を申し上げます。
救出し、病気や怪我の治療に力をつくすボランティアの方々にもお配りし、喜んでいただいています。
 ごん太は、先週2度目の手術をして首の怪我が大分縮小しました。肥厚と癒着があり当分は首輪をすることは出来ませんが、しっぽと耳の咬み傷は目立たなくなってきました。
朝の散歩も元気に行くようになりました。犬舎に入る前に暖かいタオルで傷口の汚れを拭いてやると、気持ちが良いらしく体をくねらせて「もっとふいてくれっ!」とばかりに喜んでいます。
もっとも、喜ぶという態度が見られるようになったのは少し前からです。美味しいものを見ても、散歩用のリードを見せてもシッポも振らず無感動。散歩に行けばシッポは股の間に、オシッコはオスのくせにおしゃがみと、まるで「負け犬」のよう。しかし、最近は、2~3本の電柱に片足あげての堂々たるかけションが出来るまでにオスの威厳?を取り戻したようです。
 昨日は、飼い主さんとの再会をはたしました。御夫婦でおみえになり、ごん太に駆け寄り「ごめんね、ごめん・・今日も連れていがんねんだ」と・・外に出て飼い主さんの膝に首をすりつけ頭を何度も撫でてもらい、お土産のオヤツを沢山もらっていました。しばらくぶりの幸せなごん太、飼い主さんは、何度も何度も泣いていました。
 置いてきた烏骨鶏は、ごん太を救出したあとにいなくなっていたようです。野犬が襲ったようですが、野犬とはいえ元は飼い犬、空腹に耐えられなかったとすれば仕方のない事でしょう。牛は、他の群れと一緒になったようだとおっしゃっていましたが、ちょうど今時分、双子を孕んだ牛のお産の頃で、「面倒見てやんないと生めない、どうしてっかと心配で・・」と涙。生めなければ、死んでしまいます。農家にとって双子の和牛のお産は、本当にうれしい出来事です。政府の安楽死の報道を見て泣いたということでした。「サンクチュだかなんだかやるっていう話だけど、うちのも殺さねでもらえっかどうか・・」(警戒区域内の牛、豚を放射線の影響を研究するための実験として、殺さずに飼育、観察、研究する東大農学部の研究構想)とはいえ、早く言えば生体実験なのですが、それにも一縷の望みをかけてるのです。それも、正式な政府の広報でもなんでもなく、知人同士のやりとりでの情報です。原発事故で避難して以来一も「どうすべきか」の連絡もなく、入ってはダメ!だけ。帰れんのか帰れねえのか、先祖からの田畑は、どうなんのか?
 例年なら、田んぼに畑に牛の干し草とやることがいっぱいの時期、奥様は、トラクターから降りる暇もないのに、地震以来何もしていない、ただいるだけだ、これからどう暮らすのかもわかんない・・・私は、ただただ胸がくるしく、かけた言葉は「ごん太は、引き取れるようになるまで面倒みます。大変じゃないし」と、あまり慰めにもならない言葉ですが、これしか言えませんでした。ごん太も大変でしたが、このご夫婦の苦境は、大変なものです。
「原発事故さえなければ」と言いつつ、罵詈雑言や誹謗、恨みの言葉は、一言もおっしゃらないお二人に、人としての品の良さをあらためて考えさせられました。何もなければ、穏やかで幸せな日々をすごしておられ、ごん太も呑気に暮らしてただろうにと。御夫婦が帰ると「く~んく~ん」と一時間ほどごん太は泣いていました。
 今日は、不信任案の採決でした。「時期が来たら辞める」と言ったはずの菅総理「やめない」と今、報道が・・・元鳩山総理も「やめる」と言いながら「やめるのやめた」と言ったっけ。嘘は、下品のはじまり。「死にもの狂いでやる」と言っていた菅さん、都合が悪くなると「死んだふり」すれば良いと?
 ごん太の飼い主さんに爪の垢を貰っておけば・・・
兎にも角にも、未だ体育館にいなければならない方々を何とかできないのでしょうか?国民の心配はそっちのけで、自分たちの心配しかしていない政治家!
不信任案の否決は、自分たちの生き残りをかけた最低な手段だと「国民の大半」は、確信しています。こんな程度の悪い政治家に命を委ねなければならない自分を呪ってしまいます。私は、ごん太の飼い主さんのように悪口を言わないでは、水素爆発してしまいます。
※飼い主夫婦は50代、現在、いわき市の避難所から、自分で借りたアパートに移っているということですが、ごん太に会いに福島市までやってきたのです。 飼い主は牛の肥育農家でした。飼っていた牛は、餌がやれなくなってから牧場に離したそうですが、牛のなかには出産を控えている牛もいて、双子を宿している牛もいるそうです。しかし、人間の手を借りずに出産は困難とかで、どうなっているのか全く分からないと話していたそうです。
また、被爆した動物を生かすサンクチュアリー構想について、「自分のところには全く情報はない。それどころか『安楽死指令』を聞いたときには夫婦で泣いた」と語っていたそうです。(山際)


≪その後のごん太2と動物病院の訴え!≫
人間も動物も殺すな!

病気も含めて里親になってほしい! 

震災は終わっていない

飼い主探すごん太

自分の家を探す救出された犬たち 

   平成23年6月17日  柘植裕子

ご支援いただきまして本当にありがとうございました。
「あれば役に立つ」と膝を打つものから、スタッフへのお菓子、何度も送って下さる方、また、ご自身が 立ち入り禁止区域から東京に避難してきている方まで。
こちらが支援しなければならない立場ですのに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しかし、民間シェルターや立ち入りで救出にあたるボランティアの方たちへと上手く配分して喜んでいただきました。
間に合わず、大分死んでいるのもいて哀れでなりません。入れさえすれば家畜も助けられたのにと本当に残念です。
県は、相変わらず「安楽死」の説得に追われています。立ち入りが禁止されていても家畜の世話に 入っている人もいて、その心情をおもんばかれば何が何でも安楽死の説得を続けるのはあまりに非情ではないでしょうか。

この国がこのように残酷な仕打ちをするとは考えもしませんでした。一頭の牛を育てるのに昼夜を問わず世話をし、大変な労力と愛情をかけます。農家にとっても財産ですが、国にとっても財産です。助ける努力より安楽死のほうが手間はかかりません。しかし、助ける努力を充分にしてきたとは思えないのです。
宮崎での教訓は、まったく生かされていません。この政権に学習能力はないのかと思うのは、私だけでしょうか。
動物はおろか人まで見殺しにしたのです。原発の爆発後、救助を待つ動けない人を放置した責任は誰が負うのでしょうか。
助けを待ちながら餓死させた責任は誰にあるのですか。どんなに淋しく悲しかったかを考えてみて下さい。 もし、それが自分であり自分の身内だったら・・・そのような想像力を働かせただけでいたたまれない気持ちになるのが人ではありませんか。
飯館の犬や猫のシェルターでは、中型犬やそれより大きな犬が相当数います。健康管理(血検やワクチン接種など)はされていますが、ケージレストのためストレスになっています。いままで、自由にされていた動物達が多く、動きを拘束された状態が長く続けばいつまでも健康ではいられません。それも一月なのか一年、それ以上なのか・・
これからの支援は、病気を含めてその動物達の里親になっていただくことです。里親を募集すると、「病気がないか血液検査をしてほしい」「できれば純粋種が・・」「避妊去勢したのがほしい」「可愛いのを選びたい」と言うのです。
こんな事態ですから心や体の傷も含めて癒してやってほしいと思うのですが、これでは、ペットショップで買って下さい、と言いたくなります。
震災の記憶は薄れつつあるのだと思いますが、福島は、まだ終われないでいます。東京の人達が線量の高さを色々と取沙汰していますが、福島では、「そんなで騒いで、オレらはなじょすっぺ、死んちまうべ!」霊山など避難勧奨?
「なんだべ、それ。出でも出ねでもいい?早く言ってくんねど困っぺ」・・・今日、6月17日の参院(http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php)で森まさ子議員が、スピーディーのデーターを「知りながら出さずに子供たちを被爆させた・・」と言うくだりが耳に入り、いっきに血圧が上がってしまいました。
まだ2歳と生まれて3か月の孫が甲状腺癌になることはないのか、被災地からくる動物の血液検査の結果が総じて悪いのは、劣悪な栄養状態と環境だけのせいなのかと毎日疑っています。動物は、ライフサイクルが人間の約十分の一です。繁殖も短期間で代を重ねるので、催奇性や発癌率は早く影響が観察できます。
それを、観察していくつもりでいます。
ゴン太の近況は、傷は大分小さくなり5センチ程になりました。まだ、皮膚がついていませんので首輪が出来ない状態です。
だいぶ長い距離を散歩出来るようになりましたが、ごん太に限らず被災地から来た犬たちの癖に気が付きました。
無表情、尻尾が垂れてる、外へ出たがらない、当然散歩が嫌い、住宅街では、一件一件玄関の匂いを嗅ぐ、これは、自分の家を探しているのではと見えるのですが、後姿が可哀想になります。ごん太は、飼い主さんに似た人が通ると匂いを嗅ぎにそばに行こうとします。面会の時に飼い主さんが駐車した場所は、しばらくは散歩のたびに立ち止り
周りを探していました。
格別に可愛がられたりもせずに番犬の役目は果たし、たまにホームセンターで買ってもらったオヤツをもらい、時々うるさく吠えて「しずかにしろっ!」なんて怒られても、それなりに満足な毎日をすごしていた犬たちばかり、それでも飼い主さんを探す姿を目の当たりにすると震災にともなった原発事故のまねいた不幸は、あまりに多くて語りつくせません。
未だ避難所から自分の家に帰れない方たちや、期限のない移住を余儀なくされた方々が普通の生活に戻れるまでお役に立ちたいと考えています。
ごん太も飼い主さんがもとの生活にもどれるまでここでお預かりするつもりです
が・・・いつ?


警戒区域・立ち入り禁止区域で動物は・・・
<「すまねぇ 牛と最後の朝」>(読売新聞5・23夕刊)
[ズームアップ]大震災 「すまねぇ」 牛と最後の朝
2011.05.23 読売新聞夕刊
「この牛も、あの牛も、ずっと育ててきたんだよ」
18日早朝。佐藤照子さん(56)は、食肉処理場に連れられていく乳牛たちから目を離
せなかった。覚悟を決めていたつもりでも、気がつくと涙があふれていた。
福島県飯舘村で長年、夫婦で酪農を営んできた。その平穏な暮らしを奪ったのは、東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故。村は計画的避難区域に指定され、原則として村民は全員、今月下旬までの村外移転を求められている。佐藤さん夫婦の移転先はまだ決まっていない。「まずは20頭の乳牛たちをなんとかしなければ」。
この日は、このうち8頭の食肉処理が決まった。「私らの子どもみたいなもの。どうして
こんなことになっちゃったんだろう」
53年間酪農を続けてきた同村の中島好元さん(67)も、手塩にかけて育ててきた乳牛18頭のうち11頭を手放した。酪農の他にも野菜、花の栽培や米作りも行ってきたが、「放射能のせいで全てを失った」。がらんとした牛舎で悔しそうにつぶやく。
村は、「飯舘牛」のブランド名の肉牛でも有名だった。11日には、村とJAそうまの共催で肥育・繁殖農家向けの説明会が行われ、約250人が集まった。「補償金額や仮払いの時期は」「避難に伴う精神的苦痛の算定は」。質問は相次ぐが、明確な答えは返ってこない。出席者にはいらだちだけが募った。村やJAが実施したアンケート調査では、村内の繁殖農家の7割を超える157戸がすでに廃業を決めたという。
昨年9月、NPO法人「日本で最も美しい村」連合に加盟が認められたばかりの飯舘村。だが、その美しい村の牧草地には今、牛の姿は見えない。田植えの時期を迎えた田にも水はない。戸外に響き渡っていた子どもたちの笑い声も消えた。
(写真と文 田村充 上甲鉄)
写真=食肉処理のために乳牛8頭を手放す朝。いつも通りに搾乳して餌をあげると、酪農家の佐藤照子さんは、牛の首にはめていた金具をそっと外した。「悲しいというよりも、悔しい。放射能さえなければ……」(18日、福島県飯舘村飯樋で)
写真=中島好元さんの牛舎の片隅には、妊娠している牛7頭の出産予定日が記されたノートが置かれていた。「せめてこの牛たちだけは、なんとしても生かしておいてやりたい」(16日、飯舘村比曽で)
写真=飯舘村の中でも放射線量が高い比曽地区。牛舎の背後の丘陵地には牧草地が広がり、手入れの行き届いた美しい緑が午後の日差しを浴びて輝いていた(18日)
写真=「ここ(飯舘)でなかったらもっと生きられたのに。牛たちにはすまねぇことをした」。佐藤照子さんの夫・美知夫さん(55)は、乳牛たちがいなくなった牛舎に立ちつく
し、肩を落とした。「これで終わり。廃業だ」(18日、飯舘村飯樋で)


≪殺処分が始まった≫
(6月6日)
開始された安楽死!

        6月7日  柘植裕子

大動物の安楽死が始まってしまったようです。
県の畜産課に問い合わせた方がおられるようです。早川日記というブログをしている方から連絡をいただきました。
弱っているのに限り、執行したようですが、少しつらいです。主人が、また宮崎の時と同じように短絡的な殺処分をして!と朝から怒っていましたが・・いつから、日本人は、楽な道、楽な道を選んで歩くようになったのか?非常時だから仕方ない?
たぶん、人に対してもそうなのでしょうね、だからいつまでたっても、ず~っとそのまま。
飯館が「までい」の心で丁寧に積み上げてきたもの、その精神を土足で踏みにじる政府のやり方には、日々悔しく無念な気持ちで一杯になります。
福島の飯館の動物を預かるシェルターで二匹の猫が死にました。一匹は、7人のお子さんがいるご家庭からきた猫でした。
大家族が広い広い飯館の家から、福島のせまい住居で避難生活を余儀なくされた悲しい結末でした。
飯館にいれば、広い草むらでお昼寝をして、のどがかわけば田んぼの水を飲み、虫とたわむれるのんびりした猫生活を満喫していただろうに・・
引っ越しのドサクサと環境の変化についていけなかったのだと思いました。ボランティアの方も、朝に夕に遠くのシェルターから忙しい中を通い続け「なんとか助けてあげたい」とおっしゃっていました。彼らの努力にも報いてあげたかったのですが力が及びませんでした。
普段なら病気が少なくなる季節なのですが・・・
原発の周辺から連れてこられた犬猫の避妊手術を沢山しておられるボランティアの獣医さんが「手術の時、腹腔内の色が悪い、どうしてなんだろう?」と言ってられたそうです。当院も同じ感想を持ちます。血色が悪いのです。麻酔の覚醒も良くないし・・それが放射能の影響なのか、ストレス、栄養状態のせいなのかははっきりしませんが、ライフサイクルの短い動物達に何かの変化が出始めているのかと危惧しています。
しかし、動物とはいえ、原発での避難や立ち入り禁止がなければ命を落とす理由はまったくないわけですから、これだって補償の対象になります。無給で働くボランティアがいつまで続けられるか、ほとんど料金をいただかない施療がいつまで続けられるか、冬になれば、氷点下になるシェルターの暖房は?と、国が補助をしてくらなければいつまでやれるのか?
とにかく、仮設住宅でもアパート形式の住宅でも小型犬、猫は一緒に暮らせるようにすれば多くの問題は解決します。
大型犬だけならば格段に頭数は減ります。仮設でも中型犬なら玄関につなげば問題はないはずです。動物がダメな人は、飼わないエリアを作ればいいだけじゃありませんか。今時、動物はダメ!なんて、この国も先進国ではなかったのですね。
毎晩、眠れません・・・
 余談ですが、昨日のタックルで「東電だからトウゼンだよね、なんて・・・笑」ハワイアンズにいた避難者の顔が凍りついたのに気付かないのでしょうか?住民の怒りに対して、面倒な政治的話法で煙に巻くような説明、原口、長妻両議員にも怒りが込み上げてきました。口下手な住民には上手い反論はできません。町長は、怒りで顔が紅潮していました。同じ気持ちになりました。


処分現場情報 

早川ブログ
農水省の安楽死処分方針

<牛は死に絶えた①byごん太を救出したブログ主>(6月25日)
<牛は死に絶えた②犬や猫は・・>(7月12日)

<殺処分と闘う1>
(6月30日)

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